大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高松地方裁判所 昭和51年(た)1号 決定

請求人 谷口繁義

主文

本件について再審を開始する。

理由

第一本件再審請求の理由

本件再審請求の理由は、請求人作成の昭和四四年四月三日付書面、昭和四五年五月一五日付書面(「再審請求書」と題するもの)、昭和四七年二月六日付及び昭和五三年一二月六日付各意見書、弁護人田万廣文作成の昭和四七年八月二六日付意見書、弁護人北山六郎ら作成の昭和五二年九月六日付、同年一二月五日付、昭和五三年四月一〇日付、同五月二二日付、同年一二月一一日付、同年同月二五日付(意見補充書)及び昭和五四年三月九日付各意見書のほか、弁護人矢野伊吉作成の各意見書等に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

右の理由は多岐にわたり複雑であるが、これを整理要約すれば、終局的には大略次の趣旨に帰すると解される。

一  請求人は、昭和二七年二月二〇日高松地方裁判所丸亀支部において、香川重雄に対する強盗殺人罪により死刑の有罪判決を受けた(昭和三一年六月八日請求人の控訴棄却、昭和三二年一月二二日同上告棄却により確定)。しかし右確定判決については以下にのべる理由があるから、再審を求める。

二  刑訴法四三五条六号該当事由

A  (当審において追加主張されたもの)

(一) 確定判決の挙示する証拠中古畑種基作成の昭和二六年六月六日付鑑定書(以下古畑第一鑑定という)の国防色ズボン(証二〇号)に付着する血痕の血液型の判定は誤りである。古畑第一鑑定は、右ズボンに関し、これに付着していたケシの実大三個および半米粒大一個の微少斑痕の全部または三個につき人血反応試験を省略したため、人血である証明がなされてなく、しかも同一由来に基づくとするには合理的説明のつかないこれら数個の微量斑痕をかき集めて、血液型試験(凝集素吸収試験)をしているのみならず、当時右試験に必要とされた乾血量の一〇分の一以下のものが試験に供されているにすぎない。また、当時血液型試験に使用されていた抗O凝集素は、他の物質(A、B、AB各抗原)にも吸収される性質を持つており不安定であつたのであるから、これらの点からすればO型と誤つて反応が出現するのがむしろ当然である。加えて古畑第一鑑定は、必ずしも血液型試験に習熟しているとは考えられない当時の大学院生が事実上行つたものであり、手法はもちろん判定そのものを誤る危険性が極めて大きかつたものである。古畑第一鑑定にはその他にも適正妥当を欠く点が多く、信用性がない。

右のとおり古畑第一鑑定の血液型の判定が誤りであり、同鑑定に信用性がないことは、新たに発見した証拠である船尾忠孝作成の昭和五二年一二月一〇日付鑑定書、同人の昭和五三年二月一三日及び同年三月一三日施行証人尋問の際における証言(以下右鑑定書及び証言を「船尾血痕鑑定」と総称し、同鑑定書のみを「船尾血痕鑑定書」、同証言のみを「船尾血痕証言」という)並びに証人岡嶋道夫の証言(以下「岡嶋証言」という)により明らかとなつた。

(二) 確定判決の挙示する証拠中請求人の検察官に対する昭和二五年八月二一日付第四回被疑者供述調書(以下「第四回検面調書」という)の自白によると、証一八号ないし二四号はいずれも請求人が犯行時に着用していたものとされ、被害者を刺身包丁でめつた突きにして殺害した後、ほど遠からぬ帰来橋付近の財田川で上衣等を水洗いし、更にその後約四時間を経て、石けんを使い血のついているところはつまんで、洗濯したというのであるところ、一方古畑第一鑑定によれば、証一八号(国防色上衣)、証二一号(国防色綾織軍服上衣)に対するベンチヂン予備試験(間接法)の反応は陰性であつたことになつている。しかし、ベンチヂン反応が陰性であつたというのが間違いないとすれば、船尾血痕鑑定書及び同証言によると、請求人の自白するような右状況下において右反応が陰性となることはあり得ないから、そもそも当初から右上衣等に血痕は付着していなかつたと考えるほかなく、そうすると、証一八号、二一号、ひいて証二〇号(国防色ズボン)を犯行当時着用し、犯行後洗濯したとの請求人の自白は虚偽であることに帰する。

右のとおり、請求人の犯行時の着衣の点及びこれらを犯行後洗濯したとの点に関する自白が虚偽のものであることについては、新たに発見した証拠である船尾血痕鑑定により明らかとなつた。

(三) 第四回検面調書記載の請求人の犯行使用兇器及び犯行状況の自白は、次のとおり、被害者の死体を解剖した上野博作成の鑑定書(以下上野鑑定という)記載の被害者の創傷部位、状況と合致しないことが判明したので、右の点の自白も虚偽の自白であるといわなければならない。すなわち、

1 被害者の創傷(鈍傷を除く)には、刺身包丁によつて生じ得ないものがある。

被害者の創傷のうち、上野鑑定記載の創傷番号(以下単に「番号」ともいう)(八)右口角部の後方の不正三角形の創傷及び(一二)左前胸部の創傷は刺身包丁では生じ得ないものである。

2 請求人の自白する犯行状況に、被害者の創傷と一致しないものがある。

イ 番号(二)左口角部下方の皮創は、刃部の作用した部分が請求人の自白と逆である。

ロ 番号(三)右側頭部及び(四)右耳介前方の各創傷を生ずるに足る犯行状況の自白がない。

ハ 被害者の頸部に請求人の自白する犯行状況に合致する創傷がない。

ニ 番号(一二)左前胸部の創傷の内景は、刃部の作用した部分が請求人の自白と逆であるうえ、請求人作成名義の図面(確定記録一一八〇丁四枚目)記載のような刺身包丁を請求人の自白するとおり約五寸刺入したとすれば、右創傷の創口の長さは少なくとも二・八センチメートルとなるのに、上野鑑定によると、その長さは約二・〇センチメートルとあり、両者は一致しない。

ホ 番号(二二)ないし(二四)及び(二九)右大腿部、右膝蓋部及び恥骨部の各創傷を生ずるに足る自白がない。

右事実は、新たに発見した証拠である船尾忠孝作成の昭和五三年三月二五日付鑑定書(以下「船尾創傷鑑定書」という)及び同人の同年四月一〇日施行証人尋問の際における証言(以下「船尾創傷証言」という)により明らかとなつた。

(四) 第四回検面調書中のいわゆる二度突きの自白(刺身包丁を一度突き刺したうえ、刃を全部抜かないまま、同じ箇所をもう一度突いたという自白)は、それより先、二度突きによつて生じたとみられる被害者の胸部の刺切創の状況を記載した上野博作成の鑑定書が捜査官に交付された昭和二五年八月二七日以前の日付の宮脇警部補に対する各供述調書によつてなされているけれども、本件捜査にあたつた藤野、広田らの警察官はすでにその当時右創傷の状況を知つていたものであり、宮脇警部補のみが知らなかつたとは到底考えられないから、二度突きの事実が犯人しか知り得ない秘密性を持つ事実であつたとはいえないとの点については、すでに本件の最高裁判所決定の指摘するところであるが、更に、当時捜査官らに右創傷の状況が周知されていたことが、新たに発見した証拠である昭和二五年三月一日午後九時三〇分国家地方警察本部受信財田村捜査本部発信の電話通信用紙(以下「電話通信用紙」という)、昭和二五年三月一一日付香川県警察隊長作成名義国警本部捜査課長及び広管本部刑事部長に対する強盗殺人事件発生並に捜査状況報告控(以下「警察隊長捜査報告控」という)及び昭和二五年三月九日提出の旨記載の強盗殺人事件発生並捜査状況報告案(以下「捜査報告案」という)(以上いずれも検察官から当審において提出された「(二)財田村強盗殺人事件捜査書類捜査課」と題する書類綴中のもの)によつて明らかとなつた。

B  (当審において従前の主張が整理され証拠が追加されたもの)

(一) 確定記録中の請求人作成名義の手記五通(昭和二五年八月二日付、同月一七日付、同月同日付、同月一九日付及び同月二四日付、以下「手記五通」という)は、前記第四回検面調書の自白の任意性、信用性を担保するものであるところ、左記のとおり右手記五通は偽造されたものであることが明らかとなつた。

1 手記五通の筆跡は請求人の筆跡と異なるものであつて、手記五通がいずれも偽造されたものであることが、新たに発見した証拠である高村巌作成の鑑定書(同人作成の「谷口繁義に係る再審請求事件の筆跡鑑定に関連する御照会の回答」と題する書面を含むものと解される。以下これらを併せて「高村鑑定」という)並びに戸谷冨之作成の鑑定書(同人作成の補充書、補正書面、付属資料、数表、スライドフイルムを含む。以下「戸谷鑑定書」という)、同人の証言(以下「戸谷証言」という)により明らかとなつた。

2 手記五通は、その下書きないし手本として捜査官により予め作成されていたものに基づいて作成されたものであることが、右の手本ないし下書きとみられる新たに発見した証拠である「強盗殺人被疑者谷口繁義手記」と題する書面(当審で提出された「(二)財田村強盗殺人事件捜査書類捜査課」と題する書類綴中のもの。以下弁護人らの呼称に従い「弁第七号証」という)により明らかとなつた。

(二) 前記第四回検面調書の請求人の自白等によつて、請求人は犯行時に黒皮短靴をはいていたとされているところ、捜査に従事していた巡査吉田正勝が、事件当時、現場に遺留されていた血痕足跡について、右足跡を生ぜしめたと考えられる履物の種類につき捜査した結果、血痕足跡の形状は靴店の鑑定によりズツク靴の底であるとの確信的判断を得、更にズツク靴を対照鑑定したところ右足跡は旭印黒色ズツク靴の十一文のものと符合した、旨の報告書を作成提出している事実が判明した。

右事実は、請求人が本件犯行と無関係であることを示すものであり、新たに発見した証拠である吉田正勝作成の昭和二五年三月一九日付捜査状況報告書(「財田村強盗殺人事件捜査状況報告書綴NO1」と題する書類綴中のもの。以下「吉田捜査報告書」という)により明らかとなつた。

C  (その他)

当審において追加主張されたところを加え、請求人の従前の主張を以上のとおり統合整理するが、なおこれに包含されることなく、刑訴法四三五条六号の事由をいうものとも解し得るものとして、

(一) 確定判決後拘置所内で友人石井方明と顔をあわせた際、同人が青ざめた顔で言葉をふるわせながら、「すまないことをした」と詫びたことがあり、同人が本件犯行の真犯人と思われる。

(二) 証二〇号(国防色ズボン)は本来元警察官の実兄谷口勉の制服ズボンであり、付着血痕は、同人が鉄道自殺者の死体を検視した際付着したものと考えられる。

(三) 新聞記事によれば、犯罪現場の古い血液によつてその血液保有者の性別を識別することに成功した由であるので、証二〇号(国防色ズボン)付着血痕につき再鑑定されたい。

との主張がなされている。

三  刑訴法四三五条一号、七号(四三七条)該当事由

(一)  第四回検面調書は検察官が職務に関し虚偽公文書作成罪を犯して作成した虚偽の文書であり、刑訴法四三五条一号、七号に定める事由に該当するが、既に公訴時効が完成し、そのことにつき確定判決を得ることができないので、同法四三七条によりその事実を証明して再審請求の理由とする。

(二)  証二〇号(国防色ズボン)は、司法警察職員が職務に関し証憑偽造罪を犯して他のズボンとすり替えたものであり、刑訴法四三五条一号、七号に定める事由に該当するが、既に公訴時効が完成し、そのことにつき確定判決を得ることができないので、同法四三七条によりその事実を証明して再審請求の理由とする。

第二本件再審請求の経過

一  本件再審請求の対象である確定判決

(一)  請求人は昭和二七年二月二〇日高松地方裁判所丸亀支部において強盗殺人罪により死刑の有罪判決を受け、これに対し高松高等裁判所に控訴したが昭和三一年六月八日控訴を棄却され、更に最高裁判所に上告したが昭和三二年一月二二日上告を棄却され、第一審判決が確定した。

(二)  右のとおり確定した第一審の有罪判決が認定した罪となるべき事実の要旨は、

「被告人(請求人)は、借金の支払いと小遣銭に窮し、財田村在住の闇米ブローカー香川重雄(当時六三年)が相当の金を持つていると考え、同人が一人暮らしで附近に人家も少ないことから、同人方で現金を窃取するか、もし同人が胴巻を身につけている場合または胴巻が容易に見つからない場合は、包丁を突きつけて同人を脅迫するか又はこれをいきなり突き殺して現金を強取しようと企て、昭和二五年二月二八日午前二時すぎころ、国防色ズボン(証二〇号)等を身につけ刺身包丁を腰にはさんで同人方に侵入し、就寝中の同人の枕許あたりを物色したが、胴巻が見つからなかつたので、とつさに同人を殺害して現金をとろうと決意し、右手に持つた刺身包丁で同人の顔面、頭部、腰部を多数回にわたつて突いたり切り下げるなどし、同人が間もなく仰向けに倒れるや、同人が身につけていた胴巻の中から現金一万三千円位を奪取した後、同人が生き返らぬようにその心臓部に刺身包丁を突き刺し、血が出なかつたので、包丁を全部抜かずに刃先の方向を変えて更に突き刺して同人を殺害した。」

というのであり、右事実は、第四回検面調書のほか、請求人の血液型はA型であり、第四回検面調書の自白により犯行当時請求人が着用していたとされる国防色ズボン(証二〇号)に付着していた血痕の血液型は被害者の血液型と同じO型である旨の古畑種基作成の昭和二六年六月六日付及び同月一一日付各鑑定書、右国防色ズボン等証拠物二六点、死体解剖等の鑑定書、検証調書並びに被害者の妻、捜査官ら及び請求人の弟の各証言を綜合して認める、というのである。

二  第一次再審請求

右確定判決につき、昭和三二年三月三〇日、請求人から高松地方裁判所丸亀支部に対し刑訴法四三五条一号、二号所定の再審事由ありとして再審請求がなされたが、同裁判所は、請求人のいうところは右各同号所定の再審事由にあたらず、また、同条六号の再審事由ありとすることもできないとして、昭和三三年三月二〇日付決定により再審請求を棄却した。右決定に対し請求人は即時抗告の申立をしなかつた(なお、右再審請求における請求人の主張中、前掲本件再審請求の理由二のC(その他)の(二)の主張とほぼ同旨のものが含まれている)。

三  第二次再審請求(本件)

(一)  その後昭和四四年四月九日に至り、請求人から高松地方裁判所丸亀支部に対し、同年同月三日付書面(これよりさき、請求人から同裁判所宛に出された書信二通の真意を照会確認したのに対する回答書面)により、再度再審請求がなされた。

これに対し同裁判所は、請求人の主張が刑訴法四三五条各号所定の再審事由のいずれをいうものであるか内容不明確なまま、前記高村鑑定ほか多数の証拠を取調べた結果(以下この審理を「再一審」という)、確定判決の事実認定には数々の疑問があるとしながらも、結局請求人のいうところはすべて理由がなく刑訴法に定めるいずれの再審事由にもあたらないとして、昭和四七年九月三〇日付決定により、再審請求を棄却した(以下これを「再一審決定」という)。

(二)  右再一審決定に対し、請求人及び弁護人田万廣文から即時抗告がなされ、これに対し高松高等裁判所は、請求人の再審請求の理由を、前掲第一の三の刑訴法四三五条一号、七号(四三七条)該当事由(一)(二)記載の二点のみに帰し、その余は、手記五通偽造の点を含め、間接的事実の主張にすぎないと解したうえ、手記五通は新証拠である高村鑑定によつても偽造が証明されたといえず、右(一)(二)の点について他に確定判決に代わる新証拠はないから再審を開始すべき理由はなく、結局再一審決定の判断は妥当であるとして、昭和四九年一二月五日付決定により抗告を棄却した(以下「再二審決定」という)。

(三)  右再二審決定に対し、請求人及び弁護人小早川輝雄ほか四名から事実誤認あるいは憲法違反を理由として特別抗告の申立がなされ、これに対し、最高裁判所は、刑訴法四三三条の抗告適法の理由にあたらないとしながらも、職権をもつて再一、二審決定の当否を審査し、本件再審請求の理由は刑訴法四三五条六号所定の事由をも主張するものであると解したうえ、本件有罪判決の証拠としては、第四回検面調書の自白と国防色ズボン(証二〇号)が重い比重を占め、手記五通は自白の任意性、信用性を担保する意味合いをもつところ、確定判決の有罪認定とその対応証拠の関係を検討すれば、そのすべてが解明されない限り自白の信用性に疑いを抱かざるを得ない三個の疑点や、その他にも自白の内容である事実に不審を抱かせる疑点が数々あるのであつて、これら自白の内容の疑点を合わせ考えるときは、被害者の血液型と同型の血痕の付着した国防色ズボンを重視するとしても、確定判決が挙示する証拠だけでは請求人を強盗殺人罪の犯人と断定することは早計に失するといわざるを得ず(もつとも、請求人にとつて不利と思われる証拠もない訳ではないが、これらを積み重ねても自白の内容の疑点は解消されない)、右のように、自白の内容にいくつかの重大な、しかも、たやすく強盗殺人の事実を認定するにつき妨げとなるような疑点があるとすれば、新証拠である高村鑑定を既存の全証拠と総合的に評価するときは確定判決の証拠判断の当否に影響を及ぼすことは明らかであるから、再一、二審が審理を尽くすならば確定判決の事実認定を動揺させる蓋然性もあり得たと思われるのに、再二審決定は、本件再審請求が刑訴法四三五条六号所定の事由をも主張するものであることに想いをいたさず、かつ、再一審が請求を棄却しながらも、本件確定判決の事実認定における証拠判断につき数々の疑問を提起しているにもかかわらず、たやすく再一審決定を是認したことは審理不尽の違法があるというほかなく、それが決定に影響を及ぼすことは明らかであり、かつ、再一、二審決定を取り消さなければ著しく正義に反するとして、右各決定を取消し、昭和五一年一〇月一二日付決定により本件を高松地方裁判所に差し戻した(以下「最高裁決定」という)。

第三確定判決の有罪認定とその対応証拠との関係について

一  ところで、最高裁決定が再一、二審決定破棄の直接の理由として示す、請求人の自白の信用性には疑いを抱かざるを得ず、確定判決の挙示する証拠だけでは請求人を本件の犯人と断定することは早計に失する旨の事実判断は、再一、二審決定に対する消極的否定的判断であるから、差戻しを受けた当裁判所としても、一応その限度でこれに拘束されるところであるが、最高裁決定が右判断の縁由的事由として、確定判決の有罪認定とその対応証拠関係を検討し指摘する各疑点(とりわけ、そのすべてが解明されない限り請求人の自白の信用性に疑いを抱かざるを得ないとする三疑点)について、当裁判所においても鋭意解明に努め、更に当審における証拠調の結果を加えて検討してみても、なお疑問を解明することはできない。

二  まず、最高裁決定が、確定判決の有罪認定とその対応証拠との関係につき検討を加えた結果示した疑点は、次のとおりである。

(一)  右の関係については、まず次の三点に疑いがあり、これらの疑点がすべて解明されない限り被害者の胴巻から一万三千円を奪取したとする請求人の自白の信用性について疑いを抱かざるを得ない。

1 被害者の胴巻に血痕が付着していない点

請求人が自白する犯行状況、手及び奪取した札にも血が付いたという状況に、検証調書等により客観的に認められる犯行後の現場に置かれていた胴巻の位置、被害者の着衣の血痕付着状況を考え併せると、胴巻に血が付いていないのは不自然であり、胴巻は被害者の腹部に巻かれてはいなかつたか、又は犯人は胴巻に手を触れなかつたのではないか、ひいて金員は奪い取られていないのではないかなどの疑問を持たざるを得ない。

2 自白に符合する血痕足跡がない点

検証調書等によつて認められる犯行現場の血液の流出飛散状況から考えると、請求人が金員奪取後その自白するような行動をとつたとすれば、現場に残された四個の血痕足跡のほか、右行動に符合する血痕足跡が印象されていないのは不可解であり、このことは、いわゆる二度突きの際には被害者の胸部から血が出なかつたというのであるから、請求人の右行動が二度突きの前か後かということとは関係がない。

3 請求人が八千円を捨てたという点

請求人は、警察に逮捕連行される途中、強奪金の費消残金百円札八〇枚を気付かれぬよう投げ棄てたと自白しているのであるが、請求人が自白するように、約八〇枚の札をオーバーの襟の内側の小さいポケツトに入れることができたかには強い疑いを持たざるを得ず、また、走行中のホロ付自動車の中から、同乗していた七、八名の警護員の目を盗み、手錠をかけられたまま約八〇枚の札を投げ棄てることができたかにも疑いが持たれる。

しかも、本件の賍金については明確な費消の裏付けがなく、犯行動機として自白する借金のあつたこと等についても十分に明らかにされてなく、真に請求人が費消残金八千円を持つていたのならば、その後農協強盗傷人事件を犯す動機も薄弱となる。

(二)  確定判決の有罪認定とその対応証拠との関係については、右のほか、自白の内容について不審を抱かせる次のような留意すべき諸点がある。

1 黒皮短靴について

請求人が犯行時にはいていたと自白した黒皮短靴は警察に領置されたが、その押収関係が明らかでなく、何故それが検察庁に送付されず公判廷に提出されなかつたかも不明である。

現場に遺留された血痕足跡と右の靴が一致すれば、自白の信用性を高めるのみならず、有罪認定の決め手の一つにもなり得たのであるから、これがいかに腐蝕していても証拠物として提出するのが当然であつて、寸法が血痕足跡と一致すると推定されるというのであればなお更のことであり、一致しないというのであれば、更に請求人を取調べる際その点を確かめて然るべきであつた。

2 遺留リユツクサツクについて

検証調書によると、被害者方軒下に氏名を書いたリユツクサツクが遺留されており、捜査官はこの者を取調べたというが、その調書も存在してなく、どの程度の取調べをしたか明らかでない。

3 被害者方母屋西南隅前のズツク靴足跡について

検証調書によると、被害者方母屋西南隅前にズツク靴足跡が残つていたと記載されており、捜査官はこれを犯人の足跡と判断した形跡があり、犯行現場の血痕足跡はズツク製の靴であるとの意見(信用性が薄いとして採用されなかつたもののようである)が提出されたこともあるのであるから、念のためこれを解明すべきであつたのに、それがされていない。

4 国防色ズボンの押収手続について

国防色ズボン(証二〇号)は本件において犯行と請求人を結びつける最も重要な唯一の証拠であるのに、その押収手続がずさんであつた。

5 自白の真実性の吟味に堪えうる秘密性を持つ具体的事実について

イ 本件において、いわゆる二度突きの自白(刺身包丁を一度突き刺したうえ、刃を全部抜かないまま、同じ箇所をもう一度突いたという自白)は、二度突きによつて生じたもののようにみられる創傷の状況、すなわち、被害者の胸部の刺切創が外部所見では一個しかないのに内景では二個の刺創にわかれている旨を記載した上野博作成の鑑定書が捜査官に交付された八月二七日以前の日付の宮脇警部補に対する各供述調書によつてなされているから、右のような真犯人でなければ知り得ない秘密性を持つ事実を鑑定書到着前に自白したとすれば、その供述は信用性も高く、兇器が発見されなくても有罪認定の有力な証拠として評価されるが、当時捜査に従事していた者のうち、署長藤野警視は、二度突きのことは死体解剖に立会つていたので知つていたというのであり、また、犯行の翌日行われた右死体解剖には藤野、三谷、松村の三名の警察官が立会い、鑑識課の技術吏員が鑑定人の口授するのを傍らで筆記していたというのであるから、更に、宮脇警部補とともに請求人の取調べに従事していた広田巡査部長の証言にも照らし、宮脇警部補が解剖に立会つていなかつたのが事実であるとしても、捜査係官のうち重要な役割をになつていた同人のみが二度突きのことを知らなかつたというのは甚だ訝かしいことといわざるを得ず、二度突きの事実が犯人しか知り得ない秘密性を持つ事実であつたことをたやすく肯定することはできない。

ロ また、本件において、他に自白の真実性の吟味にたえ得る秘密性を持つ具体的な事実についての請求人の供述は存しない。

三  右の各疑点のうち、そのすべてが解明されなければ自白の信用性に疑いを抱かざるを得ないとする(一)の1、2の疑点及びその余の(二)の1、3、4の点については、今となつては更に取調べる証拠とてなく、当裁判所としてもこれら疑問を遂に解明することができず(なお、これらの点に関し検察官のいうところは、単に最高裁決定が証拠判断を誤つたとして、これを非難するにとどまるものであつて、失当である)、また、その余の各疑点につき当審で取調べたものとしては、わずかに(二)の5のイの「二度突きの自白」の点に関する証人広田弘の証言(昭和五三年五月二九日施行)のほか、(一)の3の「八千円投棄」の点、(二)の2の「遺留リユツクサツク」の点及び(二)の5のロの「他に秘密性を持つた供述は存しない」との点に関し、いずれも検察官から提出されたいくつかの書証があるにすぎないところ、「二度突きの自白」の点に関する右広田証言は、最高裁決定が指摘する再一審における同証人の証言に対する反証となるべきものであるが、右再一審証言等従前の記録にあらわれた各証拠のほか、後に第四の四で指摘する点とも対比し、措信できないものであり、また、検察官提出にかかる右(一)の3、(二)の2及び(二)の5のロの疑点に関する各書証は、いずれも前記のとおり最高裁決定が新証拠を一応除外し「確定判決の有罪認定とその対応証拠の関係」に限定して検討し示した疑問点につき、新たに、確定判決の有罪認定を支え、あるいは確定判決に掲げられた証拠の信用性を高めるだけの立証として、差戻後の当審段階に至り、補充捜査をしたうえ作成されたもの、あるいは、本件発生の当時にすでに作成され、確定判決以前に公判提出可能であつた捜査書類であつて、最高裁決定の右のような判断過程から論理的に考えても、また再審請求事件の性質から考えても、このような新たな立証(新証拠に対する反証という訳でももちろんない)を現段階において検察側から自由に提出し得るものであるか(再審開始決定後の公判手続ならば一応別として)きわめて疑問があるのみならず、仮りにこれが許されるものとしても、これらのうち、そのすべてが解明されない限り自白の信用性に疑いを持たざるを得ないとする三疑点の一である(一)の3の「八千円投棄」の点に関する書証は、オーバーの襟内側の小さいポケツトに百円札八〇枚余を入れることが実験的に可能であるというにすぎないものであつて、なんら右疑点を解明するに足りないし、その余の(二)の5のロの「他に秘密性を持つた供述は存しない」との点に関し提出された昭和二五年八月二六日付「強盗事件検挙について」と題する報告書(検察官から当審において提出された「(二)財田村強盗殺人事件捜査書類捜査課」と題する書類綴中のもの)は、これに対応するとみるべき請求人の供述内容や当時の捜査経過にも照らし、これをもつて自白中に秘密性を持つ具体的事実の供述があるとするにはかなりの疑問があり、(二)の2の「遺留リユツクサツク」の点に関する書証は、これによつてその点の疑問を解消し得るとしても、最高裁決定の自白の信用性に関する前示判断にいささかの動揺を与えるものではない。

四  右にのべたとおり、最高裁決定が指摘する前記疑点(とりわけ、そのすべてが解明されない限り自白の信用性に疑いを抱かざるを得ないとする三疑点)については、当審で取調べた証拠を加えて検討してみても、遂にこれを解明することができないから、当裁判所としても、結局最高裁決定の判断に従い、右の疑点を併せ考えれば、自白の信用性に疑いを抱かざるを得ず、確定判決が挙示する証拠だけでは請求人を真犯人と断定することは早計に失するものといわざるを得ない。

以上にのべたことを前提として、以下に請求人らの本件再審請求の理由について、前記のとおり要約整理した順序にほぼ従い、その当否を順次判断することとする。

第四再審請求理由の具体的検討

一  順序に従い、まず刑訴法四三五条六号該当事由について検討するが、本件において同号に該当する新証拠として請求人らが提出ないし援用したものは、差戻前においては高村鑑定があるのみであり、差戻後のものとしては、船尾血痕鑑定書、同証言、岡嶋証言、船尾創傷鑑定書、同証言、戸谷鑑定書、同証言、「(二)財田村強盗殺人事件捜査書類捜査課」と題する書類綴中の電話通信用紙、同警察隊長捜査報告控、同捜査報告案、同弁第七号証及び「財田村強盗殺人事件捜査状況報告書綴NO1」と題する書類綴中の吉田捜査報告書(再一審で検察官から提出され、当審で弁護人らが援用したもの)があるところ、これらはいずれも同号にいわゆる「新たに発見された証拠」にあたるものと認められる(なお、当審で弁護人らが提出したその余のものは、弁護人ら作成の各意見書ないし前記証言や鑑定書中に引用され、これらを補充する趣旨で、あるいは、その理解の参考のために援用した学説文献類であるか、又は、検察官が提出ないし援用する証拠に対する反証として、提出されたものと解される)。

二  そこでまず、船尾血痕鑑定書、同証言及び岡嶋証言によつて古畑第一鑑定の信用性は失われたという点について検討する。

(一)  古畑第一鑑定は、いうまでもなく、確定判決の掲げる各証拠中請求人の自白、これにより請求人が犯行時に着用していたものとされる国防色ズボン(証二〇号)と並んで、これらを関連づけ確定判決の有罪認定を支える重要な証拠であるが、その内容の概要は、

1 被害者所有の夏メリヤスシヤツ(証一一号)、同パンツ(証一二号)、胴巻(証一四号)、革財布(証一五号)及び被害者以外の所有の国防色上衣(証一八号)、軍隊用袴下(証一九号)、国防色ズボン(証二〇号)、国防色綾織軍服上衣(証二一号)、革バンド(証二二号)、白木綿長袖シヤツ(証二三号)、靴下(証二四号)について検査し、証一一号及び証一二号に付着している血痕は人血であり血液型はO型、証一四号及び証一五号には現在血痕がついていない(ただし、証一四号には粟粒大ないし米粒大に切り取つた痕跡四箇所、証一五号には米粒大に切り取つた痕跡一箇所がある)、証一九号の裏面に後記のとおり人血が付着しており、血液型はA型、証二〇号に後記のとおり人血が付着しており、血液型はO型、証一八号、証二一ないし二四号には現在血痕が付着していないとの結論を得た。

2 証一九号については、裏面の両足首のところに蚤の糞ではないかと考えられるケシの実大の黒色斑点が数十個付着していたが、これらはいずれもベンチヂン反応陽性で人血反応も陽性を呈するから人血と認められたので、これらを多数まとめて血液型の検査をしたところ、抗A、抗O各凝集素を吸収し抗B凝集素を吸収しないので、A型と判定した。

3 証二〇号については、ケシの実大の斑痕三個(右脚前面の中央よりやや下方に二個、右脚後面の下方に一個)及び半米粒大の斑痕一個(右脚後面の裾部)が認められ、いずれもベンチヂン反応陽性であり抗人血色素沈降素による人血反応も陽性であつたから、これらが人血であることは確実であつたが、微量であり一つ一つについて検査するのは困難だつたので、これらを集めて血液型の検査を行つたところ、抗O凝集素を吸収し抗A及び抗B凝集素を吸収しなかつたので、O型と判定した。

とするものである。

(二)  右古畑第一鑑定をめぐつて、本件再審請求の審理において取調べたものとして、再一審において取調済であり検察官において援用する古畑種基及び池本卯典作成の昭和四六年五月一〇日付鑑定書(以下「古畑第二鑑定」という)、当審において取調べ、弁護人らにおいて新証拠として援用する前記船尾血痕鑑定書、同証言及び岡嶋証言、並びに検察官において援用する三上芳雄作成の昭和五三年八月四日付鑑定書及び同人の同年一〇月一六日施行証人尋問の際における証言(以下三上芳雄作成の鑑定書及び同人の証言を「三上血痕鑑定」と総称し、同鑑定書のみを「三上血痕鑑定書」、同証言のみを「三上血痕証言」という)のほか、証人池本卯典の証言(以下「池本証言」という)がある。

(三)  これらのうち古畑第二鑑定は、古畑第一鑑定から二〇年を経た昭和四六年に至つて、第一鑑定の対象物件中の証一八号ないし二四号について再度血痕鑑定し、その結果、

1 証一九号(軍隊用袴下)について、右下腿部の後側にあたる部分の裏側に、付図1のとおり褐色の斑点三個が認められ(同鑑定付図1によれば、赤く印した部分を線で囲んだ箇所が二箇所あり、一方に〇・七×一・二センチメートル、他方に〇・八×二・〇センチメートルとそれぞれ記載されているほか、対という字を線で囲み〇・九×二・五センチメートルと記載されたものが一箇所ある)、これについて検査したところ、右は人血痕であり、その血液型はA型であると判定された。

2 証二〇号(国防色ズボン)について、その右裾部の後側で、すでに前の鑑定のため切り取つたと思われる部位に隣接したところに、付図2のとおり淡赤褐色の付着斑が認められ(同鑑定付図2によれば赤く印した部分を線で囲んだ箇所が二箇所あり、一方に〇・四×二・〇センチメートル、他方に〇・二×〇・六とそれぞれ記載されている)、これについて検査したところ、右は人血痕であり、その血液型はO型であると判定された。

3 その余の物件については、血痕らしい付着物はいずれも認められない。

とするものである。

(四)  ところで、船尾血痕鑑定は、古畑第一鑑定に関し、おおむね次のようにいう。

1 古畑第一鑑定が、国防色ズボン(証二〇号)に付着していたとするケシの実大の三個及び半米粒大の一個の各斑痕について、右鑑定の前に右ズボンを検査し作成された遠藤中節(当時岡山大学教授)作成名義の昭和二五年八月二六日付鑑定書(以下「遠藤鑑定」という)の記載に照らすと、果して右各斑痕が古畑第一鑑定時に残存していたかどうか理解に苦しむ点もあるが、事実残されていたと仮定して、

イ ケシの実大の斑痕ではもちろん、半米粒大の斑痕でも人血反応試験までが限界で、ABO式血液型の判定は当時不可能である。予備試験から凝集素吸収試験によるABO式血液型の検査までの血痕鑑定の経過において必要とされる血痕量については、自分の経験でも最低二ないし三ミリグラムが必要であり、従来からも数ミリグラム以上の血痕量が必要であるといわれ、古畑氏本人の著書(古畑種基著「血液型学」昭和四一年)にも該必要量は三ミリグラムと記載されているところ、着衣に付着したケシの実大あるいは半米粒大の血痕量はあまりにも微量で、そのままでは実測不可能であるが、実験的に作成されたケシの実大の血粉の重量は〇・〇九ミリグラムないし〇・二七ミリグラム、半米粒大の血粉の重量は一・五七ミリグラムないし二・五七ミリグラムであり、着衣に付着した血痕ということになると、その半分あるいはそれ以下になると一応は推測されるところ、別に実験的に血液を白木綿の布に付着させ作製した血痕の大きさと血痕量の関係を計測した結果では、血液を飛沫状にふりかけ付着させた場合一〇×五ミリメートルの正しい矩形の血痕で重さ二・五ミリグラム、直径五ミリメートルの円形のもので重さ一・〇ミリグラムであり、これに比し、ケシの実大というのは長径一ミリメートル短径〇・五ないし〇・七ミリメートル、半米粒大というのは、米粒大が長径五ミリメートル短径三ミリメートル位で半米粒大はその半分ということであるから、右実験結果に基づく計算上、これらの大きさの血痕量はいずれも前記必要量に足りず、ABO式血液型の判定は到底不可能である。

ロ 血痕鑑定の経過において人血反応試験(種属鑑別試験)は、犬猫など動物の血液でも凝集素を吸収するものであるから、当然凝集素吸収試験に先立つて行われるものであり、かつ絶対に省略できないものであるところ、人血反応試験には最少限度ケシの実大の血痕量を必要とするから、古畑第一鑑定が国防色ズボンに付着していたという斑痕のすべてについて人血反応試験を行つたとすれば、ケシの実大の斑痕三個は右試験により消失し、半米粒大の斑痕一個(それも右試験の残部)が残存するにすぎないと考えられるから、これら血痕を集めて血液型の検査を行つたとする古畑第一鑑定の記載は理解し難い。

ハ 古畑第一鑑定が右のように残存する半米粒大の血痕のみで、あるいはケシの実大三個の血痕の僅かながらでも残つていたとする部分をも加え集めて、血液型の検査をしたとしても、その血痕量は前記イでのべたとおり該検査の必要量に足りないから、判定不可能である。

ニ 加えて、数個の微量血痕を集めて凝集素試験を行つた場合、その結果古畑第一鑑定記載のようなデータが得られたとしても、それによるABO式血液型の判定は、これら数個の血痕が同一人(人は異つても同一のABO式血液型という意味を含めて)のものであるという前提に立たない限り無意味であり、このような手法自体法医学上きわめて非常識であるのみならず、血痕が微量である場合吸収力が微弱であるから、それにあわせて凝集素価を稀釈する(抗血清を薄める)としても、限界があつて、各凝集素を吸収し切れないことがある一方、抗O凝集素はO型の血液だけでなくA、B、AB各血液型の血液にも吸収される性質を持つものであるから、これらの点からO型の血液でないものをO型と判定を誤ることがあり、ましてや微量血痕を集めて検査した場合にはO型の血液が存在しないのにO型と誤つて判定される危険性が高いのであつて、古畑第一鑑定の右のような手法及びそれによる判定結果は、到底適正妥当なものとはいえない。

2 古畑第一鑑定の軍隊用袴下(証一九号)についての検査手法及びそれによる判定結果も、国防色ズボンについてのべたと同様の理由により、到底適正妥当なものとはいえない。

3 なお、ベンチヂン反応は斑痕に対して実施される予備試験であるから、古畑第一鑑定の記載中証一四号(胴巻)について、「本物件を詳細に点検したのであるが、血痕を思わせるような斑痕は全く見当らないのみならず、ベンチヂン反応が陽性を呈する部分もないのでヽヽヽ」とある部分は、斑痕が全く見当らないのに、どうやつてベンチヂン反応を行つたのであろうか疑問であり(このような場合はルミノール化学発光試験が行われるのが通常である)、同様に証一五号、一八号、二一ないし二四号についても、ベンチヂンによる血痕の予備試験成績は理解し難い。

(五)  船尾血痕鑑定は更に、古畑第二鑑定に関し、おおむね次のようにいう。

1 軍隊用袴下(証一九号)及び国防色ズボン(証二〇号)は、いずれも古畑第一鑑定時にケシの実大あるいは半米粒大の微少な血痕が付着していたにすぎず、しかも、あまりに微量なためこれらを集めてようやく血液型の検査をしたというのに、古畑第二鑑定時に、これらの大きさをはるかに上まわる大きさの血痕が、それぞれ数個残存し付着していたというのは、同一鑑定人が関与しているだけに全く理解し難い。

2 とりわけ国防色ズボンについて、同一鑑定人が、二〇年前に暗褐色の斑痕と認識したものに隣接して、淡赤褐色の付着斑痕が残存していたというのは、血痕の色は陳旧になるに従つて赤味が消退することから考えて、更に不可解であり、あるいは前鑑定後新しい血痕が付着したとも考えられる。

(六)  三上血痕鑑定は、右船尾血痕鑑定のいうところと全く相反し、これと鋭く対立するものであるが、まず古畑第一鑑定に関し、おおむね次のようにいう。

1 古畑第一鑑定の血痕検査の経過及び結果(成績)については妥当と認めて差支えない。

2 証一九号(軍隊用袴下)に付着していたというケシの実大数十個の人血痕及び証二〇号(国防色ズボン)に付着していたというケシの実大三個、半米粒大一個の人血痕は、それぞれ血痕の付着部位からしても同一人の血痕と認められるから、血痕量が微量のため、それぞれこれらを集めて一緒にして血液型を判定したことについては、いずれも妥当と認めて差支えない。

3 ごく微量の血痕量でも、経験豊かな検査者によれば、凝集素吸収試験による血液型の判定は可能であり、自分自身の経験によつても一ミリグラムの血痕量で右は可能であるのみならず、他にも、〇・一二ミリグラムの血痕粉末量で血液型の判定をしたとの研究結果が昭和五年に発表されている例もあり、船尾血痕鑑定書がいうように、古畑種基著の文献に血液型の判定には三ミリグラムの血痕量が必要であると記載されているとしても、これは一般的な場合をいうのであつて、経験豊かな検査者であれば必ずしもそれほどの血痕量を必要としない。

4 なお、船尾血痕鑑定書は、古畑第一鑑定の記載中証一四号、一五号、一八号、二一ないし二四号についてのベンチヂン反応による血痕の予備試験成績は理解し難いというが、ベンチヂン反応試験はルミノール発光試験より鋭敏度がはるかに高いものであり、血液の付着した衣類を洗濯した場合、血液付着部分が不明となつてもその周囲に血液の成分が浸透しベンチヂン反応は出るから、たとえ血痕の存在部分が認められなくとも、任意の多数個所についてベンチヂン反応試験を実施するということは差支えなく、また一方、古畑第一鑑定には、各検体について「多少なりとも血痕の付着が疑われる部分には余すところなく(ベンチヂン反応試験を)施行した」とも記載されているのであつて、船尾血痕鑑定書の指摘するような批判は当を得ない。

(七)  三上血痕鑑定は、更に、古畑第二鑑定に関しおおむね次のようにいう。

1 古畑第二鑑定の血痕検査の方法(経過)及び成績(結果)は妥当と認めて差支ない。

2 船尾血痕鑑定書は証一九号(軍隊用袴下)及び証二〇号(国防色ズボン)について、古畑第一鑑定によりケシの実大とか半米粒大の血痕は全部消失したと考えられるのに、古畑第二鑑定時にこれらを上まわる大きさの血痕が付着していたというのはおかしいし、ことに証二〇号についてはそれが淡赤褐色であつたというのは全く理解できず、後から付着したものではないかというが、古畑第一鑑定時に見落したものあるいは残しておいたものかも知れないし、大きさの表現というものは、同じ位のものでも、人々によりまたその時々で、違つたものに受取れるような表現をすることもあり、色の点については疑問はあるが、それとても検査者の主観とか表現の仕方の問題であつて、古畑第二鑑定時にこれらが存在したという記載がある以上、とやかくいえるものではない。

(八)  右のとおり船尾並びに三上各血痕鑑定は、とりわけ古畑第一鑑定の国防色ズボンに付着していたという血痕の血液型の検査方法及び判定結果の是非をめぐり鋭く対立しているものである。

そこで、そのいずれを採用すべきかを判断するにあたり、まず、いわゆる血痕鑑定の手法、検査の手順などについて一般的に考察するに、船尾及び三上各血痕証言を綜合すると、右の検査は次のような順序、経過にしたがつてなされるものであることが認められる。

すなわち、検査の第一段階として検体に対し予備試験を行うが、その方法として一般に行われるものは、昭和二五、六年当時においても、また現在においても、ベンチヂン反応試験あるいはルミノール化学発光試験であるが、これに一長一短があり、ベンチヂン反応試験の方が反応鋭敏であるけれども、これはルミノール化学発光試験のように検体の全部についてなされるものではなく、血痕の付着を疑わせる部分について(船尾血痕証言によると斑痕付着部分のみ)なされるものである。なお、ベンチヂン反応試験には直接法と間接法があるが、直接法は、検体である衣類等の血痕付着を疑わせる部分の一部を切り取り、これを濾紙の上にのせてベンチヂンの試薬をかけ色の変わり具合によつて反応をみる方法であり、間接法は、蒸溜水でしめした綿棒等で血痕付着を疑わせる部分をこすつたうえ、これにベンチヂンの試薬をつけ反応をみる方法である。予備試験の反応が陽性と出たものは一応血痕らしいとの判断がなされる。

次に第二段階として、右のように一応血痕らしいと判断されたものについて、本試験(三上血痕鑑定では血痕確定試験という)を行う。本試験の方法としては、ヘモクロモーゲン結晶法及びヘミン結晶法があるが、一般に用いられるのは前者である。いずれにしても、この試験では検体の該部分の一部を切り取つて行う。この試験が陽性に出ると、人間か動物かはわからないが、血液であることがわかる。

そうすると第三段階として、果して人の血液かどうかを調べるため人血反応試験(種属鑑別試験ともいわれる)を行う。その方法として、昭和二五、六年当時一般的に行われていたのは、ウーレンフートの方法、すなわち抗人血清を用いて行う方法と、もう一つはヒトヘモグロビン(抗人血色素)を用いて行う方法であるが、いずれにしても、この試験においても該部分の一部を切り取つて行う。この試験が陽性に出ると、人の血液であることがわかる。

そうして、最後の第四段階として血痕の血液型(ABO式)の判定を行う訳であるが、その方法として、昭和二五、六年当時に用いられていたのは、凝集素吸収試験(単に吸収試験ともいわれ、また凝集素阻止試験ともいわれる)である。凝集素吸収試験は、検体の血液に抗A、抗B、抗O各凝集素を加え、それらがそれぞれ該血液に吸収されるか否かによつて血液型を判定するもので、この試験においても検体の該必要部分を切り取つて行う。

以上の四段階の検査手順のうち第二段階(本試験)は省略しても差支えない(なお、第一段階(予備試験)及び第三段階(人血反応試験)について、船尾血痕証言は、とりわけ第三段階(人血反応試験)は絶対省略できないものであるといい、これに対し三上血痕証言は、右各段階のそれぞれについて、状況により、数個の斑痕のうちのいくつかについて、省略しても差支えないとのべ、争いがある)。

このように四段階の手順をふむという検査方法は基本的に現在においても変わつていないが、個々の段階における検査方法には改良が加えられ、古畑第二鑑定の行われた昭和四五、六年当時においては、第三段階の人血反応試験においてウーレンフートの方法はほとんど用いられなくなり、抗人血色素を用いる方法、更には抗人血色素を精製した抗グロビンを用いる方法、そのほか種々改良された方法の代表的なものとしてフイブリンプレート(フイブリン平板)法などが用いられるようになつた。また血液型の判定にしても、吸収試験だけでなく、解離試験あるいは混合凝集法が新しく追加され、フイブリン平板法も血液型判定に応用されるようになつた(なお、現在では抗O凝集素に代え、抗H凝集素が用いられている)。以上の事実が認められる。

(九)  右認定の一般的な検査手順にも従い、古畑第一鑑定の具体的な検査経過をみるに、同鑑定書の記載及び岡嶋証言を綜合すると、およそ次のような事実が認められる。

1 古畑第一鑑定当時東京大学大学院特別研究生として同大学法医学教室に在籍していた岡嶋道夫(現在東京医科歯科大学法医学教授。以下「岡嶋特研生」という)は、同教室古畑種基教授(当時)(以下「古畑鑑定人」という)より本鑑定の補助者を命ぜられて、これに関与した。

2 当時岡嶋特研生が補助者として古畑鑑定人の鑑定に関与した場合、同鑑定人から指示された事項について実験し、その結果のデータ等をまとめて鑑定書の下書をして、これを同鑑定人に提出報告するのが通常であつた。古畑鑑定人は通常右実験には直接具体的に関与せず、右のとおり提出された鑑定書下書を検討し、これに修正加筆して鑑定書を作成していた。右下書提出後は古畑鑑定人の判断の問題であり岡嶋特研生のあずかり知らないところであるが、同鑑定人は下書を慎重に検討していたようであつた。なお本鑑定に関し、古畑鑑定人から岡嶋特研生に実験のやり直しを命じられたことはない。

3 岡嶋特研生は、本件の各検体について、前記検査手順の第一段階として、間接法によるベンチヂン反応試験を実施した。ルミノール化学発光試験については、当時同試験においては、血痕がなくても非特異的に試薬が反応発光することがあるという難点があり、それをどのように防ぐかという問題があつたので、同試験はしなかつた。ベンチヂン反応試験を実施するにあたつて、当時岡嶋特研生は、血痕と紛らわしい色の検体、あるいはしわや縫い目があつたりして血痕を見落すおそれがある検体については、斑痕が見えなくても、少しでも疑わしい部分や縫い目の部分などかなり広い部分にわたつて検査を試みるのを常としていた。

なお、証一九号(軍隊用袴下)についていたケシの実大の数十個の斑痕については、必ずしもそのすべての一つ一つを検査したものではない。

4 本件につき、岡嶋特研生は前記手順の第二段階としてヘモクロモーゲン結晶法による本試験、更に第三段階として抗人血色素を用いる方法(抗人血色素沈降素血清による方法)による人血反応試験を実施したが、証一九号(軍隊用袴下)及び同二〇号(国防色ズボン)については第二段階の本試験を省略した。また、第三段階の人血反応試験も、証一九号及び同二〇号については、これらに付着していた各斑痕全部の一つ一つについて実施したのではなく、それぞれそのうちの代表的なものあるいは重要なもののみにとどめて、実施したものとみられる。

5 岡嶋特研生は、前記検査手順の第四段階として凝集素吸収試験を実施したが、証一九号(軍隊用袴下)付着の各斑痕についてはそのうち相当数の斑痕を、証二〇号(国防色ズボン)付着の各斑痕については四個全部を、それぞれ集めたうえ、右試験をそれぞれ一回実施した。その際、証一九号についてはベンチヂン反応試験あるいは人血反応試験を、証二〇号については人血反応試験を、それぞれ経ていない斑痕が、凝集素吸収試験の対象として集めた中に入つていることは否定できない。

6 右の各検査を経て、証一九号及び同二〇号についてなお各付着血痕が残されたことがあるとしても、証二〇号(国防色ズボン)については、鑑定書に血痕付着部分として番号を付して印をつけた四個所以外には残されていない。

以上の事実が認められ、なお同証人は、証一九号及び同二〇号付着斑痕一つ一つのベンチヂン反応や人血反応試験を省略し、その一部のものにとどめたうえ、かつ、斑痕を集めて凝集素吸収試験を実施したことについて、これら斑痕はそれぞれ同一性状、同一由来のもの(証一九号についてはいずれも蚤の糞のようであつた)と考えられたこと、各斑痕はそれぞれきわめて微少であり、一つ一つ人血反応試験を実施すればそれだけで斑痕がほとんど消失し、血液型の判定ができなくなること、当時人血反応試験に用いられていた試薬は貫重なもので、そうやたらに使うものではなかつたことから、右のような検査方法をとつたものと思う旨のべている。

(一〇)  また古畑第二鑑定の具体的な検査経過については、同鑑定書の記載及び池本証言を綜合すると、およそ次のような事実が認められる。

1 古畑第二鑑定当時科学警察研究所主任研究官であつた池本卯典(現在自治医科大学法医学助教授。以下「池本研究官」という)は、当時所長であつた前記古畑鑑定人とともに、昭和四六年二月一七日高松地方裁判所丸亀支部裁判官から本鑑定の共同鑑定人を命ぜられて、これに関与した。

2 本鑑定における所定の検査はすべて池本研究官において実施したが、重要な実験結果についてはその都度古畑鑑定人にもみてもらい、最終的には、池本研究官が実験結果のデータなどをまとめ鑑定書の下書をし、これを古畑鑑定人において検討し、加筆修正したものを鑑定書とした。

3 各検体に対する具体的な検査経過については、まず、前記検査手順の第一段階(予備試験)としてルミノール化学発光試験及び間接法によるベンチヂン反応試験を実施したが、なおベンチヂン反応試験については、斑痕が認められる部分のみならず、斑痕が見えないところも念のため何箇所か検査するという方法をとつた。次いで第二段階としてヘモクロモーゲン結晶法による本試験、第三段階として抗人血色素を用いる方法(抗人血色素沈降素血清による方法)による人血反応試験、第四段階として解離試験によるABO式血液型検査を経て、前記の鑑定結果を得た。

4 証一九号(軍隊用袴下)について、前記のとおり右下腿部の後側にあたる部分の裏側に、鑑定書付図1に示すように、褐色の斑点三個が認められ、上の方の斑点一個は〇・三×〇・四センチメートル位、下の方の斑点二個はそれぞれ〇・三×〇・三センチメートル位であつたが、この二個はわずかに接しひようたん型になつていて、一個のようにもみられるものであつた(鑑定書付図1には一個として記載。なお、同図に示した大きさの数字は、いずれも切り取つた部分の大きさを示すもので、斑点の大きさを示すものではない)。これら斑点の色は、いずれも非常にうすい褐色というべきものであつた。これら斑点について前記手順のとおり検査した結果、鑑定書記載のとおりの血液型(A型)の人血痕と判定した訳であるが、なお検査方法として、予備試験から人血反応試験までの段階では斑点の一つ一つについて検査を実施した。血液型の検査の際には、必ずしも明確ではないが、斑点をまとめて検査したものとみられる。

5 証二〇号(国防色ズボン)について、前記のとおり右裾部の後側で、すでに前の鑑定で切り取つたと思われる部位に隣接したところに、付図2に示すように、〇・一×〇・四センチメートルの大きさで、非常にうすくにじんだような淡赤褐色のもの、その下に〇・二×一・〇センチメートル位の大きさで上のものより多少濃いがやはり淡赤褐色のもの、合計二個の付着斑が認められた(なお鑑定書付図2に示した大きさの数字は、証一九号と同様、検査のため切り取つた部分の大きさを示すもので、斑痕の大きさを示すものではない)。これら斑痕について前記手順のとおり検査をした結果、鑑定書記載のとおりの血液型(O型)の人血痕と鑑定した訳であるが、なお検査方法として、予備試験から人血反応試験までの段階では斑痕の一つ一つについて検査を実施した。血液型検査の際には、証一九号と同様、必ずしも明確ではないが斑痕をまとめて検査したものとみられる。

6 本鑑定当時、池本研究官は各検体について二〇年前に血痕鑑定がなされたことがあることも、本件が再審請求事件であることも知らなかつたものであり、また、各検体に付着していたという血痕の陳旧度について考慮しなかつたので、右については不明である。なお、本鑑定時に各検体はいずれもよく乾燥していて、保存状態は良好であると認められた。

以上の事実が認められるが、なお池本証人は、同人の鑑定時に証一九号及び同二〇号に付着していた各血痕は、前回鑑定時に見落したものか、あるいは残して置いたものではないかとのべている。

(一一)  ところで、古畑第二鑑定は前記のとおり古畑第一鑑定から二〇年を経て、同鑑定と同じ対象物件を検査し、とりわけ証二〇号(国防色ズボン)について、これに付着していた血痕は古畑第一鑑定と同じくO型の血液型の人血痕であると判定しているのであつて、古畑第一鑑定の検査方法、経過の是非は別として、その結論の妥当性を裏付け、ひいて古畑第一鑑定の右ズボン付着血痕に関する検査方法及び判定結果は誤りであるとする船尾血痕鑑定に対し有力な反証となるべきものである。

そこで、前示認定の古畑第一、第二鑑定の具体的な検査経過状況にも照らしながら、まず古畑第一鑑定に先立つて同第二鑑定について検討する。

古畑第二鑑定は、血液型判定の検査方法として、証一九号及び同二〇号について付着血痕の一つ一つを検査したものか、それともこれらを集めて検査したものか必ずしも明確でないが、その点を一応おくならば、検査方法及びその結果についてさして問題となる点はなく、船尾血痕鑑定もあえて異をとなえていない。しかし古畑第二鑑定時に証一九号及び同二〇号、とりわけ証二〇号(国防色ズボン)に付着していたという血痕は、船尾血痕鑑定のいうように、古畑第一鑑定以後に付着したものとも考えられるものであるかは問題である。

この点についてみるに、右ズボンには、古畑第二鑑定時に、右裾部の後側で前の鑑定時に切り取つたと思われる部位に隣接したところに、いずれも淡赤褐色の〇・一×〇・四センチメートル及び〇・二×一・〇センチメートルの二個の血痕が付着していたというのであるが、古畑第一鑑定時には、ベンチヂン反応試験を、それも多少なりとも血痕の付着が疑われる部分には余すところなく施行したというのに、同鑑定書には右二個の血痕の記載はなく、前記のとおり右二個の斑痕よりはるかに小さい半米粒大一個、ケシの実大一個のベンチヂン反応陽性の斑痕を認め、微量であるためこれらを集めてようやく血液型の判定を行つたというのであり、また、古畑第一鑑定に先立つて行われた遠藤鑑定においても、ルミノール発光試験を実施しているが、同鑑定書にも古畑第二鑑定のいうような二個の血痕の記載はなく、古畑第一鑑定の右斑痕付着部位及び同鑑定が切り取られた部分があると指摘する部位に、ルミノール反応陽性の小斑点若干を認め、いずれも血痕量が微少であつて血液型の判定はできなかつたというのであるから、右のように、遠藤鑑定におけるルミノール発光試験及び古畑第一鑑定におけるベンチヂン反応試験を経て、しかもこれら鑑定が一致して血痕反応を示す各斑痕があつたと指摘するもの以外に、更にこれらよりも大きい血痕が見落しあるいは切り残されて、二〇年を経て付着していたというのは、いかにも不自然不合理であり、加えて色調の判断、表現には主観的なものがつきまとうとはいえ、一般に付着血痕は陳旧になるにつれて赤味が消失して行くことは否定できないところであるから、これら血痕が淡赤褐色を呈していたということも不可解である。

そうすると、古畑第二鑑定時に右国防色ズボンに付着していたという血痕は、なんらかの理由で古畑第一鑑定以後に付着したものではないかとの疑いを払拭し切れるものではなく、むしろ右疑いは濃いものであるといつても過言ではない(前示のとおり、池本証言によれば、古畑第二鑑定時に右ズボンほかの各検体はいずれもよく乾燥しており、保存状態は良好であつたと認められるとしても、それ以前の保存状態は不明であり、あるいは、たとえば被害者の着衣と一緒に保存されていて、これに付着していた血液が移着したというようなことも、長年月の間には、考えられない訳ではない)。そうだとすれば、古畑第二鑑定は、それ自体の妥当性はともかく、これをもつてただちに古畑第一鑑定の信用性を裏付け、船尾血痕鑑定に対する反証となり得るものではないというべく、古畑第一鑑定の信用性は、あくまでもそれ自体を中心として考えられるべきことに帰する。

(一二)  そこで古畑第一鑑定自体の信用性、とりわけ証二〇号(国防色ズボン)付着斑痕の検査方法及び判定結果の妥当性の点について検討する。

この点に関し、弁護人らにおいて船尾血痕鑑定及び岡嶋証言を援用し主張するところを要約すれば、古畑第一鑑定時に右ズボンに付着していたというケシの実大三個及び半米粒大一個の斑痕について、(イ)右のような微量血痕で血液型の判定は可能であつたか、(ロ)これら斑痕を集めて血液型の判定をすることは妥当か、(ハ)しかも、そのうち人血反応試験を経ていないものがあるが、妥当といえるか、(ニ)なお、これら検査及び結果の判定は、事実上ほとんど当時の大学院生にゆだねられていたとみられるが、それによつて判定を誤る危険性はなかつたか、の四点に集約されるところ、これらは密接かつ複雑に関連しあつているので、その当否の判断はきわめて困難な問題である。

(一三)  そこで右判断の前提として、人血に動物の血など他の物質がまじると血液型の判定はどうなるか、血液型の異なる血液がまじると血液型の判定はどういうことになるかなど、理論上考えられる一般的な問題点を検討し、更に、これらの点をもふまえたうえ、血液型の判定には一般に最低どの程度の血痕量が必要と考えられるかの点などについて、まず考察してみることとする。

1 人血に動物の血など他の物質がまじると血液型の判定はどうなるかの点について考えてみるに、船尾血痕証言によると、犬猫など動物の血でも凝集素を吸収するものであると認められるから(この点について、三上血痕証言も血液型は犬や山羊の血液でもB型と出る旨のべている。同証言速記録一七三丁表裏)、動物の血などがまじつているのに、すべて人血であるとの誤つた認識のもとに血液型の判定をすれば、重大な誤りをおかすことになることは明らかである。

2 次に、すべてが人血であるとしても、血液型の異なる血液がまじつていた場合に、血液型の判定はどういうことになるかの点について考えてみる。

血液型判定の凝集素試験は、船尾、三上各血痕証言等によるまでもなく、ABO式血液型について原理的にいえば、A型血液に吸収される性質を有する抗A凝集素、B型の血液に吸収される性質を有する抗B凝集素、O型の血液に吸収される(ただし、後記のとおり吸収の度合に争いがあるが、他のいずれの血液型の血液にも吸収される)性質を有する抗O凝集素を使用し、これら各凝集素(抗血清)を各別に対象物件たる血液に加え(この場合血液量が微量であれば、凝集素価を順次倍数に稀釈し調整したものを加える)。各凝集素のいずれが吸収され、あるいは吸収されなかつたかの反応をみて、血液型を判定するものである。

右のように、凝集素試験は原理的にはさして問題はなく血液型の判定を誤る危険性はないように考えられるが、ただ、抗O凝集素は他の凝集素と異なり、単にO型の血液のみならず、他のいずれの血液型の血液にも吸収される性質をもつところに問題がある。その結果、船尾血痕鑑定によれば、血痕量がきわめて微量である場合や、更に、異なる血液型の血液がまじつている場合に、血液型の判定を誤る危険性が高いというのである。すなわち船尾血痕鑑定は、A型あるいはB型の血液を例にとれば、これらはそれぞれ抗Aあるいは抗B凝集素を吸収するのと同程度に抗O凝集素をも吸収するから、A型あるいはB型単独の血液であつても、きわめて微量の場合それぞれO型の血液と判定を誤ることがあり、ましてや、もしそれがごく微量で単独では血液型の判定ができないA型の血液と、同様ごく微量のB型の血液がまじつている場合、抗Aあるいは抗B凝集素は吸収されないのに抗O凝集素は吸収されるということもあり得るのであつて、そうなると、O型の血液は全く存在しないのに、O型の血液と誤つて判定されることとなる旨指摘する(なお船尾血痕鑑定によれば、抗O凝集素に代えて現在血液型判定に使われている抗H凝集素は、O型以外の血液にも多少は反応するが、程度の差がはつきりしており、抗O凝集素を使つた場合のように判定を誤る危険性はないという)。

そこで検討するに、船尾血痕鑑定のみならず三上血痕鑑定によつても、抗O凝集素は抗Aあるいは抗B各凝集素と異なり、O型の血液だけでなく、A、BあるいはAB各血液型の血液にも吸収される性質を有することが明らかであるところ、その吸収の程度について、船尾血痕鑑定は、A型あるいはB型の血液の、それぞれ抗Aあるいは抗B凝集素に対する吸収力と同程度というのであり、岡嶋証言も、抗O凝集素に対する吸着の度合はO型の血液であろうと他のいずれの血液型の血液であろうと同じ位であるとのべているのみならず(同証言速記録三七丁表)、古畑第一鑑定の証一九号(軍隊用袴下)に対する凝集素吸収試験の検査成績として、同鑑定書一〇ないし一一頁にも、検体斑点の部の1、2、4倍稀釈の抗A凝集素に対する吸収反応+--、同各倍数稀釈の抗B凝集素に対する吸収反応++-、同各倍数稀釈の抗O凝集素に対する吸収反応+--、このようにこの斑点は抗A凝集素と抗O凝集素を吸収し、抗B凝集素を吸収しないからA型であると判定した旨記載されているのであつて、これらの証拠によれば、古畑第一鑑定時(昭和二六年ごろ)血液型判定に使われていた抗O凝集素は、O型の血液のみならず他のいずれの血液型の血液によつても、A型あるいはB型の血液が抗Aあるいは抗B凝集素を吸収するのと同程度に、吸収される性質を有していたものと認められ、この点に関し三上血痕鑑定中右認定に反する部分は到底措信できない。

右認定事実を、各血液型の血液に各凝集素を加えた場合、その反応として吸収するものを-、吸収しないものを+と表示して、模型図的に説明すると次のようになる(岡嶋証言速記録末尾添付の写真一参照)。

血液

A型 B型 AB型 O型

抗A凝集素 -  +   -   +

抗B凝集素 +  -   -   +

抗O凝集素 -  -   -   -

そうだとすると、船尾血痕鑑定が指摘するように、たとえばA型及びB型の血液が同量程度にまじつている場合、抗O凝集素に対する吸収力は抗Aあるいは抗B凝集素に対する各吸収力の二倍ということになるから、血液量がきわめて微量である場合、抗Aあるいは抗B凝集素は吸収されず、抗O凝集素のみ吸収され、その結果、O型の血液が存在しないのにO型の血液型と判定を誤る危険性は理論的にあり得るのであつて、到底これを否定することはできない。

この点に関し、検察官は岡嶋証言を援用し、A型とB型の血液がまじつている場合、抗O凝集素を吸収するならば抗A及び抗B凝集素をもいくらか吸収する(検査成績表上プラスマイナス(+-)あるいは半プラス(⊥)と表現される)から、一般に、異なる血液型の微量血痕が混在していることが判明し、O型の血液と誤つて判定することはないというが、プラスマイナスという反応がある訳ではなく、あるいはプラスが強くあるいはマイナスが強いことがあり、これをプラスとみるかあるいはマイナスとみるか、更にあるいは判定不能とみるかは全く主観にゆだねられ、判定を誤る危険性は否定できないのみならず、前示のとおり、理論的に血液量がきわめて微量の場合、抗Aあるいは抗B凝集素には反応を示さないのに抗O凝集素のみを吸収することもあることは否定し難く、岡嶋証言も、もし違つた種類の血液がついていれば致命的である旨のべ(同証言速記録四三丁表)、このような場合判定を誤る危険性を否定する趣旨ではないと考えられるから、検察官のいうところは失当である。

3 ところで、血液型判定に必要な血痕量について、前記のとおり、船尾血痕鑑定は、最低二ないし三ミリグラムが必要でそれ以下では正確な判定はできないといい、三上血痕鑑定は、それ以下でも判定可能であるという。また岡嶋証言は、この点について、最低三ミリグラム位は必要だといつても、それだけなければ絶対に不可能という訳ではなくて厳密な境界線は出しにくく、ともかく検査してみて反応をみた上でなければ何ともいえないとのべている(同証言速記録三〇丁表裏)。

なるほど血痕量が少ない場合、前示のとおり、抗血清を順次稀釈したものを加えて行くことによつて、原理的には微量血痕でも血液型判定は可能であるといい得るであろうし、どれだけの量があれば可能であるか否か厳密な限界線を画することはできないであろう。三上血痕鑑定がいうように、検査者の習熟度によつても左右されるところであるといえるであろう。

しかし、そうだとしても、血痕量があまりにも微量でそれに加える抗血清を順次稀釈した場合、吸収反応が微弱となつて識別困難から更に不能となるにつれて、検査者の主観(習熟度によつても影響される)によつて判定が左右され、あるいは判定を誤るという面が増大し、客観性に乏しくなるということも否定できないところであり、しかも、このように微量の血痕の場合検査の機会は一回だけしか与えられないという事情も考え併せれば、客観性を有する確実な判定という意味では、自ずからなる限界があるとも考えられるところである。

この点について、岡嶋証言も、確実に判定するということになりますとその位の量(二ないし三ミリグラム)が欲しいということになる旨のべ(同証言速記録三七丁裏)、必ずしも右にのべたようなことを否定していない。

また三上血痕鑑定は、〇・一二ミリグラムの血痕量で血液型の判定ができたという学会報告例があるというのであるが、同証人は自ら追試した訳でもなく(同証言速記録一二四丁裏)、報告例があるというだけでそれを信用できる訳ではないし、また自からの経験でも一ミリグラムの血痕量で血液型の判定は可能である旨、同証人自身の論文を引用してのべる部分も、弁護人らが反証として提出した右論文(「乾血における血液型判定上の錯誤について」熊本医学会雑誌第一一巻七号(昭和一〇年)所載)によれば、多数の実験例中に一ミリグラムの血痕量で血液型の判定をした例も一、二あげられているけれども、右例は一箇月を経ない新鮮な乾血によるものであり(本件は、もし請求人が犯人であるとすれば血痕付着後古畑第一鑑定までに一年余を経ていることとなる)、また同論文には結論として、確実な成績を求めるとすれば(乾燥後ほぼ一年以内のものを新しい材料とし、一年以上のものを古い材料として)、新しい材料で二ミリグラム、またはそれ以下の微量でも充分な成績を求められないことはないが、通常新しい材料で五ミリグラム、古い材料で二〇ミリグラム、更に陳旧な材料については一〇〇ミリグラムを要すると信ずる旨記載されているのであつて、一ミリグラム程度の血痕量で確実な判定ができるという訳でもない。

そうすると、血液型の判定は、材料の陳旧度や検査者の習熟度などの条件に左右されることもあり、必ずしも二ないし三ミリグラム以上の血液量がないと不可能であるとまではいえないにせよ、前記のように血液型の異る血液がまじつた場合考えられる問題点にも照らし、確実な判定結果を求めるためには通常二ないし三ミリグラムの血痕量を必要とすると考えるべきであり、それ以下の血液量では、更に微量になるにつれ客観性の乏しいものとなり、とりわけ刑事裁判上の証拠としては、もちろん鑑定内容にもよるところであるけれども、一般的には、証明力に疑いを生じ、これを採用することにちゆうちよを感じることにもなるであろうと考えられる。

(一四)  右にのべたところを一応の前提として、本件の古畑第一鑑定について考察する。

まず、同鑑定時に国防色ズボンに付着していたというケシの実大三個及び半米粒大一個の斑痕の血痕量というのはどの程度のものであるかの点について検討するに、船尾血痕鑑定の実験結果に照らし考察すると、着衣に交着したこのような微量血痕はそのままでは実測不可能であるが、実験的に計算上得られるところによれば、ケシの実大というのは一×〇・五ないし〇・七ミリメートル大位であつて、実験的に作成したケシの実大血粉の血痕量に対し着衣付着の場合をその半分位(実際はそれ以下と考えられる)と大ざつぱにみても、〇・一ミリグラムを下まわるものと一応の推測が可能であるところ、実験的に白木綿の布に飛沫状に血液を付着させ作製した血痕の大きさと、血痕量の計測結果から計算したところでは、一〇×五ミリメートル大の矩形の血痕量は二・五ミリグラムであるから、ケシの実大の血痕量というのはそのおよそ一〇〇分の一、計算上〇・〇二五ミリグラム程度ということになる。また半米粒大というのは、米粒大が五×三ミリメートル大位であつて、その半分ということであり、そのような斑痕の血痕量は、実験的に作製した半米粒大血粉の血痕量に対し着衣付着の場合をその半分(前同)と大ざつぱにみても、およそ一ミリグラムないしそれを下まわるものと一応の推測が可能であるところ、実験的に白木綿の布に飛沫状に血液を付着させ作製した直径五ミリメートル大の円形の血痕量は一ミリグラムであるから、半米粒大を直径三ミリメートル大の円形に近いものとしてとらえれば、結局その血痕量は計算上〇・三六ミリグラム程度ということになる。

そうすると、ケシの実大三個及び半米粒大一個の斑痕の血痕量というのは、これを合計しても、右の計算上では〇・四三五ミリグラム程度ということになり、そのうち一個ないし二個の斑痕について人血反応試験を実施したとすれば、右試験によつて一個の斑痕につきほぼケシの実大一個の血痕量が消費されるものと認められるから(この点については、船尾血痕鑑定のみならず、三上血痕証言や岡嶋証言もこれを否定するところではない。三上血痕証言速記録二三丁表、三〇丁裏、八四丁裏、岡嶋証言同二二丁裏等)、これより〇・〇二五ミリグラムないし〇・〇五ミリグラムを差引いたものが残存血痕量ということになる。

以上要するに、ケシの実大三個及び半米粒大一個の着衣付着斑痕の合計血痕量というのは、およそ〇・四ミリグラム程度ということであつて、着衣に対する付着状況によつて多少の増減がみられるとしても、いずれにせよ一ミリグラムをはるかに下まわるきわめて微量のものであると認められる。

また、前示のとおり岡嶋特研生は右四個の斑痕の一部(おそらく一個ないし二個)についてのみこれを実施し、かつ、これら斑痕を集めて凝集素吸収試験を実施したものと認められるところ、このような検査方法をとつたことについて、岡嶋証言は、これらの斑痕はいずれも微量であり、かつ同一性状、同一由来のものと考えられたから、とのべ、また三上血痕鑑定は、血痕付着部位が近接した場合であるから同一人の血液とみて差支えなく、したがつて右のような検査方法は妥当といえるし、このような微量血痕の場合は仕方がないというのであるが、なるほど、確かにこれら斑痕が同一性状、同一由来のものであるとの判断が全く相当であり、したがつて同一人の血液であろうことが、客観的にも高度の蓋然性をもつて推認できるというのであれば、血痕量の点は別として、右のような検査方法によつて得られた結果も一応妥当といえるであろう。

しかし、同一由来というのは同じ機会に同じ原因で付着したということと解されるところ、このようなことは本来単に斑痕の外観のみによつて主観的に決せられるべきことではないから、その性状、位置関係などのほか更には斑痕付着の着衣の状況などに至るまで充分に検討し、あるいは他の証拠とも相まつて斑痕付着の契機について慎重に考えを巡らしたうえで、判断できることであろうし、また、同一性状というのは語義どおり同一性質、形状をいうものと解され、この点は斑痕のみによつて判断し得るところではあろうが、これとても、本件の場合、まさにこれからの検査によつて明らかとなるべき性質である人血であるか否かの点の検査を省略したうえ、同一の血液型であるとの前提の下に斑痕を集めて血液型の検査をするからには、それなりの慎重かつ充分な検討を要するものと考えられるところ、果して以上にのべたような配慮の下に右の判断がなされたものであるかは、本件の場合はなはだ疑問である。

このことは、証一九号(軍隊用袴下)に関しても、これに付着していたというケシの実大数十個の斑痕について、岡嶋証言によれば、これらはいずれも蚤の糞とみられたので同一性状、同一由来のものと考え、国防色ズボンに関する検査方法と同様、人血反応試験を一部についてのみ行つて他を省略し、かつ、これら斑痕を集めて凝集素吸収試験を行つたというのであるが、蚤は他の人やあるいは猫などの動物にもつき移動するものであるから、外観上蚤の糞だからといつて、必ずしも同一人の人血であるともいえないのに、これらの点に思いをいたさず、安易に同一性状同一由来のものとみて右のような検査方法をとつていることからもうかがい知ることができるところであるが、国防色ズボンに関しても、検察官が指摘しているように、遠藤鑑定書によれば、これら斑痕はほぼ同様な性状を呈しいずれも飛沫血痕のようにみえたと記載してあるからといつても、これらが同一面上に近接して付着しているというのであればともかく、前示のとおり四個の斑痕中ケシの実大二個はズボンの「前面」に、これと離れて、ケシの実大一個と半米粒大の一個はズボンの「後面」に付着していたというのであるから、これらが飛沫血痕であるというのならなお更のこと、同一機会に付着したものとは必ずしもいい難いのであり、岡嶋証人自身も、当時忙がしかつたので血痕そのものについてしか考えを巡らさなかつた、いちいち付いた状況まで考える余裕はなかつたとのべていること(同証言速記録八七丁裏)をも考え併せるならば、前記のような検査方法をとるについて、慎重かつ充分な配慮の下に同一性状、同一由来のものと判断した訳ではなく、単に同一ズボンに付着し外観上似たようなものであるという程度の判断によつて、人血反応試験を一部省略したうえこれら斑痕を集めて血液型判定の検査をしたにすぎないといわざるを得ないのである。

もつとも、検査方法に右のような疑問があるとしても、国防色ズボン付着の各斑痕が同一由来のものであることが他の証拠とも相まつて客観的に認定されるならば、少なくとも結論の妥当性は肯認されることとなろうし、確定記録中の本件鑑定の際における鑑定人尋問調書によれば、古畑鑑定人に対し一件記録が貸与交付されていることが認められるが、本件において右各斑痕が同一由来のものであることを認め得べき唯一の証拠である請求人の自白は、前示のとおり数々の疑点があつてその信用性は否定されるべきものであるから、右の点から同鑑定が少なくとも結論において妥当であつたともいえない。なお、以上の点について三上血痕鑑定のいうところは、すでに右にのべたところから失当であることが明らかであろう。

以上考察したところによれば、古畑第一鑑定は、とりわけ国防色ズボンに関する部分は、その血痕量の点において、これら斑痕を集めてもせいぜい〇・四ミリグラム程度ということであつて、血液型の正確な判定を得るために充分な量であつたとは、船尾及び三上血痕鑑定等いずれの証拠によつても、到底いえないのみならず、合理的に首肯し得る確たる根拠もないまま、これら斑痕のすべてについての人血反応試験を行わず、かつ、これらを集めて血液型判定の検査を行つている点において、人血以外のものが混入し、あるいは種類の異なる人血が混入された可能性、ひいては前示のとおり判定を誤る危険性を否定し切れないものであり、これらの疑点に加え、前示のとおり、右の検査における実際あるいはその結果の判定は、そのほとんどが必ずしもこのような検査に習熟しているとはいい難い当時の大学院生によつて実際上行われ、古畑鑑定人のこれに関与する程度は、むしろ低かつたとみられること(とりわけ同一性状、同一由来のものとみられるかどうかの判断について、前記の状況からみても、古畑鑑定人がどれほど関与し検討したものであるかきわめて疑問である)などの事情をも併せ考えれば、検査方法において右の各疑点があり妥当ではないといい得るのみでなく、その判定結果にも、判定結果を誤る危険性が二重三重に存在し多大の疑問を持たざるを得ないから、船尾血痕鑑定が指摘するように、古畑第一鑑定は、その余の点を考えるまでもなく、きわめて信用性に乏しいものといわなければならず、なおこの点に関し、三上血痕鑑定のいうところ及びこれを援用して検察官の種々主張するところは、ひつきよう、とにかくにも検査がなされなんらかの反応が出ているから右検査は可能であつたとみるべきであり、またその判定結果は信用すべきものであるというに帰し、問いをもつて問いに答えるに等しいというべきであるから、到底採用することができない。

三  次に、船尾血痕鑑定によつて、請求人の犯行時の着衣の点及びこれらを犯行後洗濯したとの点に関する自白が虚偽であることが明らかとなつたという点について検討する。

(一)  請求人の第四回検面調書に司法警察員に対する昭和二五年八月五日付(第七回)供述調書を併せみると、請求人が本件犯行時に証一八号(国防色上衣)、同一九号(軍隊用袴下)、同二〇号(国防色ズボン)、同二一号(国防色綾織軍服上衣)、同二二号(革バンド)、同二三号(白木綿長袖シヤツ)及び同二四号(靴下)を着用し、被害者を刺身包丁で殺害した後、自宅に帰る途中犯行現場からほど遠からぬ帰来橋付近の財田川で、血のついた国防色上衣(証一八号)、包丁、靴の裏、手を水洗いし、更にその後四時間位を経て血痕が残つていた右上衣及びズボンを石けんを使つて洗濯した、なお、右上衣には前の右胸あたりに点々と二、三箇所及び一番下の方にべつとりと直径二寸位の大きさに血がついており、右袖の内側の先の方に点々と血の飛沫が五箇所位ついていた、ズボンは一番下の裾の付近(右)に点々と三箇所位血がついていたが、その他の服にはついていなかつた旨自白していること、一方、古畑第一鑑定によれば、右鑑定時に右のうち証一八号及び二一号についてベンチヂン反応試験(間接法)の結果はいずれも陰性であつて、これらに血痕付着部分は認められなかつたこと(古畑第一鑑定中この部分については、前示のとおり斑痕が見えない部分まで入念にベンチヂン反応試験を実施したと認められるから、充分に信用できる)、なお古畑第一鑑定に先立つて実施された遠藤鑑定によれば、同鑑定において証一八号及び同二一号は対象物件となされてなく、したがつて右各号は古畑第一鑑定以前に科学検査の対象となつていなかつたことが認められる。

(二)  ところで船尾血痕鑑定によれば、衣類付着血痕について、付着血痕量、付着後水洗い又は石けんによる洗濯までの経過時間、洗濯程度、被付着布片の種類などによつて多少異なるが、一般的には、水洗い又は石けんによる洗濯によつてルミノール化学発光試験及びベンチヂン反応試験(直接法)は影響されないといわれており、木綿ギヤバヂン織あるいはさらし木綿の各布地に血痕を付着させた後間もなく水洗いし、更に四時間後石けんを使つて洗濯し、自然に乾燥させて三箇月後にルミノール及びベンチヂンによる各試験を行つたところ、ルミノール反応及び直接法によるベンチヂン反応についてはほとんど影響がなく、間接法によるベンチヂン反応試験は、反応が減弱したが陰性化はほとんど認められず、なお、ルミノール試験後に間接法によるベンチヂン反応試験を行うと陰性化し、直接法によるベンチヂン反応にも影響がみられたので、以上の実験結果によると、血痕付着後間もなく水洗いし、その後四時間位してから石けんを使つて洗濯しても(ただし洗い残りがないものと仮定)、ルミノール発光反応並びにベンチヂン反応(間接法)が不可能になることはないと推測されるが、古畑第一鑑定当時の検査方法では血液型の判定は不可能と思料されるというのである。

これに対し、三上血痕鑑定は、鑑定資料に対する人血付着部位の序狭、付着血痕の多少、洗濯の方法(たとえばもみ洗い等)により左右され、血痕予備試験が陰性になることは否めないとするが、船尾血痕鑑定の前記実験結果は一応肯認し、ただ、石けんをつけてもみ洗いして、また石けんをつけてもみ洗いするというような時には(反応が)出ない可能性も十分考えられると思う旨のべ(三上血痕証言速記録九七丁裏)、また、同人において、人血を付着させた木綿布を洗剤を使用し洗濯機によつて三回洗濯(各洗濯後に乾燥させる)した場合でも、ルミノール及びベンチヂン(直接法)各試験は陽性に反応したとし、この点に関する船尾血痕鑑定を必ずしも否定するものではない。

また、古畑種基及び池本卯典作成の昭和四六年一二月一三日付回答書(再一審記録八五八丁)によると、衣類などに人血液が付着した場合、付着直後乾燥しないうちに石けんを使つて二回にわたりよく洗濯すると、血痕予備検査、血痕実性検査及び人血検査が不可能となることはあり得ると考えられるが、しかし、一般にはよほど注意して洗濯しなければ、血液型抗原が繊維の間などにごく微量でもしみついて残ることがある旨記載されている。

(三)  そうすると、船尾血痕鑑定以下右各証拠を綜合すると、血痕付着後まだこれが乾燥しないうちに、石けんを使つて二回にわたり入念にもみ洗いした場合には、ルミノールあるいはベンチヂンによる予備試験が陽性に出ないこともあるが、請求人が自白するように、血痕付着後間もなく一回水洗いし、約四時間後石けんを使つて洗濯した場合には、右各予備試験が陰性になることはないものと認めるのが相当である。なお、この点について、検察官は、証二〇号に微量の血痕が認められ、証一八号に血痕が認められなかつたのは、証一八号は犯行直後に水洗いしたのに、証二〇号は水洗いしなかつたためであろうというが、請求人の自白によれば、前示のとおり、証一八号を四時間後に石けんを使つて洗濯した際付着血痕が残つていたというのであるから、検察官のいうところは失当である。

以上認定したところによれば、本件犯行時に証一八号(国防色上衣)を着用し、これに被害者の血液が付着したので犯行後間もなく水洗いし、更に四時間後石けんを使つて洗濯した旨の請求人の自白は虚偽であるとの疑いを生じ、ひいて、証二〇号についても犯行時に着用していたとの自白に疑問を持たざるを得ず、そうすると、最高裁決定が指摘する請求人の自白に対する前記数々の疑点に、更に重大な疑点を加えることになるというべきである。

四  そこで次に、二度突きの自白が犯人しか知り得ない秘密性を持つものとはいえないとの点につき、更に、当時の捜査書類中の前記電話電信用紙、警察隊長捜査報告控及び捜査報告案によつて、二度突きにより生じたとみられる創傷の状況が、当時捜査官らに周知されていたことが明らかとなつた、との主張について判断する。

右三通の書面は、いずれも本件の捜査当時作成されたとみられる「(二)財田村強盗殺人事件捜査書類捜査課」と題する書類綴中のもので、当時の捜査状況経過を伝えるものとして信用性のかなり高いものと認められるところ、このうち電話通信用紙には、昭和二五年三月一日午後九時三〇分財田村捜査本部発信として、「解剖は午後九時終了した。目下会議中」と、警察隊長捜査報告控には、死体解剖所見の項に「2解剖日時三月一日自午後四時至午後八時三十分」「3解剖所見の概要(創傷部位)」「(ロ)胸部左胸部第四肋骨の間に長さ二糎大の創傷あり(深さ左胸腔に突き抜け左肺の左上葉に二箇所の傷あり)」「5参考資料、死後十二時間乃至四十八時間経過して居り胃の内容物の消化状況より食事後七、八時間経過と認められる」とそれぞれ記載され、また、捜査報告案には警察隊長捜査報告控と同旨の記載があり、その起案者欄に「田中」の著名があるが、全記録によれば、右「田中」に該当する者は、本件捜査従事者中広田巡査部長、宮脇警部補とともに請求人の取調べにあたつていた田中晟警部であると認められる(なお証人広田弘の当審証言によると、田中というのは同警部一人だけだつたという)のであつて、これらの証拠によれば、被害者の死体解剖直後ごろから財田村捜査本部で捜査会議が開かれ、その場で解剖の結果も報告され、捜査係官らに二度突きによつてみられる創傷の状況が周知されていたことを窺わせるに充分であり、また、右田中晟警部が当時右創傷の状況を知つていたことが明らかであつて、これらの点よりすれば、捜査係官らのうち重要な役割をになつていた宮脇警部補ひとりが二度突きのことを知らなかつたというのは(なお、同警部補が「被害者の解剖の結果、午前二時ごろの犯行でヽヽヽ捜査をしていた」とのべていることから考えても―再一審における同人の証言)、ますますもつて奇異の感を強くするものといわなければならない。

そうすると、右の各証拠は、最高裁決定が指摘する請求人の二度突きの自白の秘密性に対する疑惑を、更に決定的に深めるものであるというべきである。

第五結論

以上みて来たとおり、新証拠である船尾血痕鑑定及び岡嶋証言は、古畑第一鑑定の信用性、なかんずく国防色ズボン付着血痕に関する血液型判定の正確性について、きわめて重大な疑問を抱かせ、また、船尾血痕鑑定は同時に、請求人の自白に対する前記数々の疑点に更に新たな疑点を加えるものであり、加えて、捜査書類中の電話通信用紙、警察隊長捜査報告控及び捜査報告案は、請求人のいわゆる二度突きの自白の秘密性に対する疑惑を一そう深めるものであつて、かつ、これらはいずれも充分に信用できるものである。

ところで、刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いを抱かせ、その認定を覆えずに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべく、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、果してその確定判決においてされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを綜合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的疑いを生ぜしめれば足りるという意味において「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されるものであつて、この原則を具体的に適用するにあたつては、確定判決が認定した犯罪事実の不存在が確実であるとの心証を得ることを必要とするものではなく、確定判決における事実認定の正当性についての疑いが合理的な理由に基づくものであることを必要とし、かつ、これをもつて足りると解すべきであるから、犯罪の証明が十分でないことが明らかとなつた場合にも右の原則があてはまるものであることは、最高裁決定が判示するところである。

そして、本件において、確定判決の有罪認定を支える証拠中、いわば決め手となるべき重要なものとしては、第四回検面調書に録取されている請求人の捜査段階における自白、右自白により犯行時に請求人が着用していたとされる国防色ズボン(証二〇号)及び右ズボンに付着する血液の血液型は被害者の血液型と同じであるという古畑第一鑑定があるところ、請求人の右自白の内容には数々の疑点があつて、その信用性について疑いを抱かざるを得ず、確定判決の挙示する証拠だけで請求人を犯人と断定するのは早計であることは、さきに説示したとおりである。

そうすると、これに加え、右船尾血痕鑑定、岡嶋証言、捜査書類中の電話通信用紙、警察隊長捜査報告控及び捜査報告案が、確定判決をなした裁判所の審理中に仮りに提出されていたならば、右の各証拠と他の証拠を綜合的に判断すれば、確定判決の有罪認定に合理的疑いを生じ有罪判決に至ることはなかつたであろうことが明らかであるから、右の各証拠は刑訴法四三五条六号所定の無罪を言渡すべき新規かつ明白な証拠にあたるものというべきである。

以上の次第であるから、本件再審請求はその余の点について判断するまでもなく理由があることに帰する。

よつて同法四四八条一項により本件については再審を開始することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 大下倉保四朗 佐々木條吉 田中哲郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例